生きるのが下手な人へのエール

どうもミトコンドリオンです。

 

 

生きるのが下手な人へ

世渡り下手だけが持つ魅力

 

紀野 一義(きの かずよし)

 

1922年、山口県萩市北古萩の妙蓮寺に生まれる。旧制広島高校から東京大学文学部印度哲学科に入学。1943年12月、学徒動員にて広島五師団工兵連隊に入隊。将校任官後南方の戦地に向かう。出征中、広島原爆にて家族すべてを喪い、財を失う。1946年2月、中国軍の捕虜から解放され帰国。1948年、東京大学卒業。宝仙短大学長を経て、正眼短大副学長。在家仏教団体真如会主幹として仏教文化の啓蒙運動に挺身した。2013年没。

 

 

どうしても他人と調子を合わせられない人。

騙されても騙されても騙す側に回れない人。

働いても働いてもお金がたまらない人。

人の頼むことが苦手でくたびれ果てる人。

一生懸命やる割には人に良く思われない人。

 

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私はよく周りに「生きづらい生き方してるね」「生きるの下手そう」と言われることがあります。自分でも思い当たる節はあるのですが、自分の信念を曲げることが難しいのです。曲げるときは理論的に合理的に理由を考えて自分の信念に従わず、渋々行動することがあります。

そんな時に、この本を見つけました。タイトルは「生きるのが下手な人へ」。

まさに私のための本!と思い、読んでみました。

しかも本の始まりにも「本書は、世渡り下手なあなたのための本です。」とあり、ますます読んでみたくなりました。

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  • 放り出して生きる

この章では自分の持っているもの、環境をすべて放り出して生きた人物が紹介されています。

種田山頭火

家族も置いて、自分ひとり寺に入り、自分を見つめなおした人物である。お寺で修行していても悟るわけではなく、より一層迷いが深くなっていく。さらに人生に絶望し、放浪の旅に出る。その旅で読まれた詩には感情を動かされるのである。情景と心情が表現されており、山頭火という人物をあるがままに表現されている。また、絶望していながらも、どこか仏様の存在を信じていることが分かる。結局、山頭火は一乞食僧として生涯を終えるのだが、その詩、生き様は後世の人に影響を与えている。すべてをさらけ出して生きた姿を。そして、気づくのである。仏様にはいいところも悪いところも見られている。そうであるなら、信じた人の前ではすべてをさらけ出す覚悟が必要だということを。

 

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私の詩のイメージはうまく情景と心情を表現されていることが良いとだけ思っていました。山頭火の詩には情景だけではなく、心情を表現しているのは他のものと同じだのですが、その心情があまりにも人間らしくて、それはなんか分かるような、分からないようで、自分にも当てはまるような感じで、親しみやすいと思いました。

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暁烏敏(あけがらすはや)

自分の好きなように生きた人。奥さんが亡くなってもすぐに再婚するといった少し世間の感覚と違った感性を持っている。本人はそんなこと関係ない。自分に正直なだけなのだ。しかし、そのように自分の思うままに生きているからこそ、仏教の真理にたどり着けるのかもしれない。その生きざまに周りの人は真理を見る。

 

普化(ふけ)

風顛漢(ふうてんかん)と言われた人物。フーテンの寅さんのフーテンはここからきている。普化は死んだのち死骸も見えなくなったため、全身脱去(ぜんしんだっこ)と言われた人物。この段落では普化のことではなく、自殺願望から考え直し、好きな人と結婚までした青年の話もある。人は何かを捨てると吹っ切れる。捨てることにより仕切り直しで新しいことを始めることができる。私たちも全身脱去はできないが、部分脱去はできるだろう。周りから評価されようと躍起になる必要はない。評価はあくまで周りのもの、自分のできることをしたらよい。それで、身近な2,3人でも幸せにできれば…。

 

  • 生きたいように生きる

相田みつを

仕事がなくなった時、書家ということで自分で作品を歩いて売っていた。それから、運よく、仕事をもらい、関係を築き、アトリエまで作ってもらってと、なぜだかうまくいっている。それは、人の幸せを本気で願う気持ち、神仏を尊び畏れる気持ちがあるからであろう。

 

毎田周一

この人も奥さんがいるのに、自分の心に従って、別の女の人に走ってしまったっ人である。しかし、その奥には自分は明日死ぬかもしれないという気持ちがあるためであった。明日死んでも悔いのないように、今日を生き切らねばならない。いい加減に生きていては死んでも死にきれないからである。

 

 

  • きびしく鮮烈に生きる

會津八一

 

吉野秀雄

 

八木重吉高村光太郎

 

 

  • 私心なく生きる

坂村真民

 

あるキリスト者妙好人

 

私心なき人たち

 

草木のような自然にも光の環がある。

私心のない人の周りには光の環がある。それは草木と同じように私心がないからである。

 

 

終章 愛の環の中に生きる

愛することは祈ること。すべてのものを愛することでものごとは動いている。仏教の輪廻転生においても、憎しみの輪廻は終わらせるべきであり、愛の輪廻を繰り返すことが重要なのである。すべてのものを愛することで、人々は幸せに生きることができるのだ。

 

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感想

 

著者がお寺生まれであり、仏教団体の活動もされていたので、仏教関連の用語が多かったです。私も一応仏教徒なので、なんとなく分かるような感じでした。しかし、少し仏教思想が強く、若い方には偏りすぎて抵抗を持ってしまうかもしれません。「生きるのが下手な人へ」ということで、過去の一般的には生きるのが下手だと思われている人たちを紹介し、それでも何か信念を持っていたり、他の人の心を動かしているということが紹介されており、生きるのが下手な人達へのエールに感じました。

ただ、すべてを放り出したり、自分の生きたいように生きたり、きびしく鮮烈に生きたり、私心なく生きていますが、どの方もその生き方を徹底しています。軽い気持ちではすべてが中途半端になり、ますます生きづらくなってしまうのではないかとも読んでいて感じました。

 

現在、物事がうまくいかずに悩んでおり、それでも、これを読んで、自分の生き方は間違っていないと自信が持てる方なら、この本に勇気をもらうかもしれません。逆に、向上心があり、この状況をどうにかしたい、挽回したいと思っている方には、ちょっと逆効果になってしまうと思います。なぜなら、自分の行動を改善しようと考えているのに、本書ではこのままのあなたで良いとされているからです。よって、現状に疲れてしまったと感じた方には自分を肯定もらえるため、おすすめだと思います。