正義感から怒りに繋がる

どうもミトコンドリオンです。

 

私は正しい

その正義感が怒りにつながる

 

安藤俊介(あんどう しゅんすけ)

一般社団法人日本アンガーマネジメント協会代表理事。アンガーマネジメントコンサルタント。怒りの感情と上手に付き合うための心理トレーニング「アンガーマネジメント」の日本の第一人者。アンガーマネジメントの理論、技術をアメリカから導入し、教育現場から企業まで幅広く講演、企業研修、セミナー、コーチングなどを行っている。ナショナルアンガーマネジメント協会では15名しか選ばれていない最高ランクのトレーニングプロフェッショナルにアジア人としてただ一人選ばれている。主な著書に『アンガーマネジメント入門』、『あなたの周りの怒っている人図鑑』等がある。著作はアメリカ、中国、台湾、韓国、タイ、ベトナムでも翻訳され累計65万部を超える。

 

1章 正義感が強い人

怒っている人には何かしらの正義があります。自粛警察、マスク警察、○○警察なども正義感から過敏に反応している方が多い印象です。怒りという感情は別名、防衛感情とも呼ばれており、何かを守るためにある感情です。本来、動物は危機に面した際、闘争と逃避を選びます。戦うことを選んだ場合、それが怒りのように現れるのです。つまり、正義感の強い人は守るものが多く、それを守るために闘いを選んだ結果、怒りという感情を出しているのです。

怒りが生まれるメカニズムとして、怒りのスイッチが入る瞬間は自分が信じている「~するべき」を裏切られた時です。コロナ禍で自粛するべきと思っている人が、自粛していない人たちを見ると怒りのスイッチが入ってしまいます。また、怒りを大きくする要因として、マイナス感情・状態があります。お腹が減っていたり、疲れていたり、ストレスを感じていると怒りは大きくなってしまいます。よって、怒りのスイッチを入れない、大きくしないためにも、「~するべき」が裏切られる回数を減らす、マイナス感情・状態を小さくすることが挙げられます。

正義と言っても、それは人それぞれ、状況によって異なります。つまり玉虫色をしているのです。よく例に挙げられるトロッコ問題がそれにあたります。1人を救うのか、5人を救うのか、大事な人を救うのかなど、人それぞれで選択は変わってきます。このことからも正義は人それぞれであり、玉虫色をしているのです。

ウルトラマンのような正義の味方が地球を守ってくるシーンにおいても、ウルトラマンと怪獣が戦いの最中に街を破壊してしまった場合、その街に住んでいない人にとっては、地球を救ってくれたウルトラマンは正義となりますが、街に住んでいて、家が壊された人はウルトラマンが絶対正義とは思えない場合もあるからです。

 

 

2章 正義感は心の闇から生まれる

正義は絶対正しいと信じて私たちは生活しています。正義は社会には必要ですし、正義がないと秩序がない社会になってしまいます。ただ、正義からくる怒りがどこまで過激でも良いというわけではありません。その怒りと行動が周りの人に共感してもらえるのか、その正義は合っているのか確認する必要があります。自分の思い込みでその怒りはただの私憤であり、公憤でない可能性があるのです。

ここで、私憤と公憤の判断を謝らないための基準があります。

それはアンガーマネジメントでは「ビッグクエスチョン」と言われるものです。

ビッグクエスチョン:自分にとって周りの人にとって長い目で見た時に健康的か?

 

つまり①自分にとって②周りの人にとって③長い目で見た時に④健康的か の4つの視点で判断することが必要です。

 

①自分にとって

それをすることで自分にどのようなプラスを生み出すのか考えてみましょう。ただ気に食わないから、イライラしていて憂さ晴らしをしたいからという理由でしたら、それはただの私憤です。

②周りの人にとって

その行動をすることで周りの人に迷惑をかけていないか、不愉快を思いをさせていないか考えてみましょう。大声で注意したりもよく考えてみてください。また、あなたが行動することで家族や友人、知人への影響も考えてみましょう。

③長い目で見た時に

怒っている瞬間はその正義が正しいと思い行動していると思いますが、その時に少し考えてみるのです。冷静になった後、何年か経った後、その行動が世間的にも正しかったと思える行動なのか。余計なことだったと思うのではないかと。もしかしたら、その怒りの行動に対して、後悔する日がくるかもしれません。

④健康的か

例えば、コロナ禍だと言って県外ナンバーの車に張り紙を貼るという行為は正しいのでしょうか。そんな権利は私たちにはありません。器物破損と言われるかもしれません。こうした怒りにまかした行動は心身ともに疲れさせることになります。

 

怒りは「~するべき」を裏切られた場合に発生すると言いましたが、その「べき」はどこからくるのでしょうか。それは価値観=コアビリーフというものから生まれます。今まで生きてきた中で作られたものになります。ある出来事に遭った場合、人は自分のコアビリーフと照らし合わせ、その出来事が正しいのか間違っているのか判断し、正義を振りかざすのです。

コアビリーフは生きていく中で学習や経験を通じて作られるため、人それぞれです。親の教育、しつけの影響が強く反映されています。また、成長していくと、学校の先生や友人の考え方にも触れることでコアビリーフは変化していきます。このコアビリーフが無意識のうちに働くため、同じ出来事でも人によって怒りの有無、度合いが異なってくるのです。

また、心の闇が解決できていない人は起こりやすい傾向にあります。それは、常にもやもやしており、解決方法がわからないため、とりあえず、その隙間を埋めるために、正義を見つけては怒るという行為に移ります。「正義のため」と思うことで、なんとか心の平穏を保とうとするのです。

これはどこにも居場所がない、自分は報われていないという思い込みが強い人が陥りやすい傾向にあります。つまり、孤独な人が多い印象です。しかし、どんなに怒っても、根本の自分の問題は解決されないため、永遠に怒ることになってしまいます。

 

ここで面白いことなのですが、人は正論を嫌う傾向にあります。皆さんも思い当たる節があるのではないでしょうか。いつも正論を言っている人は近付きにくく、避けてしまいたくなります。人は常に正しい、合理的な判断を求めていません。優しさを優先したり、感情を持っているからです。つまり、人が求めているのは理屈ではなく、共感なのです。正論を言う人は自分を認めて欲しい、受け入れて欲しいと思っているのですが、それは自分勝手であり、自分のことしか考えていないため、相手から避けられ、受け入れてもらえないのです。