怒りコントロールの意義

どうもミトコンドリオンです。

 

 

精神科医が教える「怒り」を消す技術

怒りのコントロールが人生を幸福にする

 

備瀬哲弘(びせ てつひろ)

 

吉祥寺クローバークリニック院長。

精神科医精神保健指定医

1972年、沖縄県那覇市生まれ。96年、琉球大学医学部卒業。

同附属病院、都立府中精神神経科聖路加国際病院麻酔科、JR東京総合病院メンタルヘルス精神科などを経て、2007年より現職。

日本総合病院精神医学会、日本精神神経学会、日本児童青年期精神医学会、日本精神救急学会の会員。

著書に、『大人の発達障害』『大人のアスペルガー症候群が楽になる本』『D’な人々 うつ病ではない「うつ」たちへ』『精神科ER 緊急救命室』『うつ病になっても会社は辞めるな』などがある。

 

 

 

第二章 なぜ怒りをコントロールする必要があるのか?

思いやりがイライラに変わるとき

求める気持ちは、それが一瞬満たされたとしても、エスカレートしていく傾向にある。

自己中心的な願望を満たしてくれる愛情を与えてほしいと考えて怒ってしまう場合もある。

求めること、もしくは与えてもらうことでは、心の安らぎは得られません。永遠に気持ちが落ち着くことがないのです。

私たちが本当に望んでいるのは当然ながら「心の安らぎ」。

 

 

Q「怒りのコントロールを続けていく必要があるのか?」

A私たちの心はざわつきやイライラ、もやもやした状態でいることは望んでいないから。

心の安らいだ状態を維持するには、たとえ何度失敗しても、怒りのコントロールに繰り返し取り組んでいかなければならないから。

 

Q「悪いのは自分ではないのに、なぜ今の自分をゆるすのか?」

A私たち自身が心の安らぎを得るためには、今の自分を許していく必要があるから。

完璧にいかない自分を悔いて責め、場合によっては他人と比較し、うまくいかない問題を親や育ちや環境のせいにして…という具合に自分をゆるせないでいると、抱えている葛藤に何らかの理屈をつけることで、自分を納得させたくなります。

しかし、そうなると問題は複雑化する一方です。安らぎを得たくて思考しているのに、そもそも方向性がずれていると葛藤が増えていきます。それは苦痛以外の何ものでもありません。

 

 

確認ですが、

怒って良かったことはあるか?

寝るときに今日を振り返る時、起こって本当によかったなあと思える人はまずいないでしょう。

「あのとき、なんでもっと冷静に対応できなかったのだろうか」

「思わず声を荒げてしまったけれど、失敗したなあ」

「あとになって考えてみると、怒るようなことではなかったなあ。相手に不愉快な思いをさせたよなあ」

などと、ため息をつきながら嘆くことがほとんどではないでしょうか。

 

よりよく生きるためのコツ

「心の安らぎを得て、より良い人生を歩む」という願いから、怒りをコントロールをするという意識を持つ。

怒りをコントロールできる人は、心が常に平穏に保たれているため、自分も気持ちが良く、かつ周囲の人たちを心地よくさせます。一緒の時間を過ごす他人を心地よくさせるといった人間性の源は、「おそれない」、そして「ゆるす」という2つの心構えにあるのだと思います。

当然のことながら、怒りは人を遠ざけます。その反対に、怒りのコントロールができる人は、多くの人を惹きつけるのです。

 

もし怒りを過度に抑え込んでいたり、湧き上がる怒りという感情を自覚できなかったりする人がいる場合には、そちらのほうが精神的に不健康なにおいがします。

無理に感情を抑え込み続けたり、自分の胸中に湧き出てくる怒りを無視し続けたりすることは、心身の健康によくありません。精神的な病気になることもあります。

怒りを過度に抑圧したり、自らの自然な感情を無視したりすることが目標ではありません。怒りを感じるがままに表現すれば、時として災いを招く危険性があります。そのため、怒りをしっかりコントロールする必要があるのです。

 

怒りを感じたまま、それを垂れ流しにすれば、貴重で限りある自らのエネルギーと時間を多大に浪費します。心の安寧を得られないために、へとへとに疲れます。また、怒っているその時間は、何も生みだしません。

怒りのコントロールは、自らのエネルギーと時間に余裕を生み出します。その余裕が有益なことを生み出す可能性を高めるのです。生涯を通し、生産性は確実に高まります。

 

怒りのコントロールは人生のコントロール

怒りを発散させたとき、当然負うべき責任は自分自身にあります。

「状況を覚えていないほどの怒りだったのだから、あなたに責任はない」「自然に湧き上がった感情のせいだからしょうがない」などと、だれも言ってはくれないし、慰めてくれることもありません。

怒りを表現してしまう人に対して、周りの人は接したくない、関わることを避けたい、と考える人がほとんどでしょう。表面的に付き合うことがあっても、実際は存在自体を無視されてしまいます。