一歩引いて観察してみる
どうもミトコンドリオンです。
妻は他人
変化の日々を夫婦で歩む
さわぐちけいすけ
当たり前だからこそ、つい忘れてしまいがちな日々のあれこれを円満夫婦の夫が描くコミックエッセイ
タイトルが面白そうだったので、読んでみました。
夫婦の日常に関することも漫画で描いていますが、著者がお悩み相談をしているので、その回答が主な内容です。その中でも印象に残った部分を紹介します。
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変わりゆく好みの楽しみ
子供の時、若い時には苦手だった薬味や野菜、ビールの苦み。
今ではその良さが分かるようになった。しかし、まだまだ苦手なもの、知らないものが多い。それも年を取るにつれて好きになるのだろうか。年とともに可能性も広がる。
自己主張と可能性
1人でいる時は気にしてすらいなかった何気ない時間でも、誰かに邪魔されて初めて、自分は意外にこれを大事にしているのかもと気づく。
喧嘩の原因はほとんどが「余計なことはするくせに大事なことはしてくれない」という相手への不満。自分にとって大事なことは、相手にとってどうでもよいことかもしれないし、逆に自分は相手の大事な何かをどうでも良いことと決めつけてしまっているのかもしれない。
その可能性を常に考えておかないと自分の主張を通すことに固執してしまい、喧嘩に発展する。
始まりはいつも無駄足
何かを始めようとしてもどうしたらいいのか分からず、始めることができない。調べようと思っても情報が多く過ぎてさらに迷ってしまう。
そんな時は一歩踏み出してみると良い。
目的地はどんなところなのか、どこまでなら今の自分で進めるのか。少しずつだがだんだんとわかってくるはず。また、多すぎた情報の選び方も分かってくるはず。そうして、少しずつ学んで、進んでいけばよい。とりあえず、まず試しに一歩踏み出してみよう。
心をもっとネガティブに
自分がネガティブだと落ち込む必要はない。逆にまだネガティブが足らないのかもしれない。例えば、相手がどんな手で来るのか、あらゆるパターンを考える時、それはネガティブではなく、慎重、戦略を練っていることになる。不安を多く抱えるかもしれないが、次第にその不安の選別の仕方が分かってくる。今考えるべきか、後でも良いか、考える必要がないか等。うまくいかないかもしれないというネガティブ思考はもっと研ぎ澄ましても良い部分であり、もしもを考えることで、やるべきことが見えてくる場合もある。
偏見はいつも無意識に
偏見はその人の過去の経験、情報のとらえ方から形成されていく。偏見=時短術。そうすることで、余計な出来事に巻き込まれなかったりする。しかし、偏見が自分の中であることは自覚すべきである。自覚はしておいて、時短術として使う。例えば、怖そうな外見の人には近づかないことは不用意な危険に合わないためである。これが善い偏見との付き合い方。難しいけどね。
以上となります。
私自身、気にしすぎな性格もあるため、こういった悩みの本を手に取りやすいです。
その中でも、本書は自分を一歩引いて観察してみるというスタンスをとっているように感じました。悩んでいるとどうしてもそのことに集中してしまい、周りが見えなくなってしまいます。幼いころ苦手だったものも、大人になると克服できる。さらに未来はもっと違うことが起きているかもしれないと時間に関しても全体を把握するような考え方だなと思いました。著者は「一歩引いてみると見方が変わるよ」と教えてくれている気がします。
十月十日の長さとは
どうもミトコンドリオンです。
先日、八十八夜について、立春から88日目に茶摘みをする童謡について、どの年が良く育ったお茶か考察する記事を載せました。
続いて、今回は「十月十日」について考察したいと思います。
「十月十日」とは赤ちゃんがお母さんのおなかの中にいる期間をザックリ表した期間です。
現在では妊娠から40週が予定日とされていますが、今回は十月十日についてです。
40週なら7日/週×40週=280日と明確に日数が分かりますが、
10か月10日だと、1ヶ月の日数は月によって異なります。
31日ある月もあれば、30日の月もありますし、2月なんて28日しかないです。
よって、十月十日と言っても、ばらつきがあります。
そこで、どの十月十日が一番長い日数か算出してみました。
1月スタートだと…314日
2月スタートだと…313日
3月スタートだと…316日
4月スタートだと…316日
5月スタートだと…314日
6月スタートだと…314日
7月スタートだと…314日
8月スタートだと…314日
9月スタートだと…313日
10月スタートだと…314日
11月スタートだと…314日
12月スタートだと…314日
以上となりました。
つまり、3月、4月スタートだと一番日数が長いことになり、赤ちゃんもすくすく育ってから生まれてくることでしょう。
こんな風に、昔からよく言われる日数にはザックリしたものがありますが、いちいち計算してみると面白いかもしれませんね。
怒りの対処法 (具体的には…)
どうもミトコンドリオンです。
精神科医が教える「怒り」を消す技術
怒りのコントロールが人生を幸福にする
備瀬哲弘(びせ てつひろ)
吉祥寺クローバークリニック院長。
1972年、沖縄県那覇市生まれ。96年、琉球大学医学部卒業。
同附属病院、都立府中精神神経科、聖路加国際病院麻酔科、JR東京総合病院メンタルヘルス精神科などを経て、2007年より現職。
日本総合病院精神医学会、日本精神神経学会、日本児童青年期精神医学会、日本精神救急学会の会員。
著書に、『大人の発達障害』『大人のアスペルガー症候群が楽になる本』『D’な人々 うつ病ではない「うつ」たちへ』『精神科ER 緊急救命室』『うつ病になっても会社は辞めるな』などがある。
第4章 怒りを外側に出す人と抑える人
怒りには良い側面もあります。
適度な怒りが、他社との間に共感や相互理解をもたらし、対人間の信頼や親密さを増す働きがあるとする考え方もあります。また、親しい人に対し、理性的説得という形で怒りを表すことは、相互理解を得られ、建設的な関係を築くことが期待できるという、怒りがよりよい方向へ働くという報告もあります。
怒りを抑える方法
第一段階 「攻撃行動」の抑制
第二段階 鎮静化プロセス
第一段階、第二段階は主に他人との関係を意識してのコントロール、外向きのコントールとなる。
第三段階 「心の安らぎ」を目的に内向きのコントロールを行う
怒りの背後には「おそれている」「ゆるせない」気持ちのどちらか、または両方があります。
この2つの気持ちの逆の行動を選択できるようになれば、怒りの感情から解放され、毎日、心穏やかにして過ごせるようになるでしょう。
第5章 自分の怒りのタイプを知る
・短気な人チェックリスト
判定はB
短期ではありませんでした。
・敵対性セルフチェックリスト
敵対性は13点
心身共に健康を保つために、怒りのコントロールに積極的に取り組むべきとの結果となりました。
不信感と嫌味っぽさは2点
不信感と嫌味っぽさのレベルが低い
カッとなりやすさは9点
カッとなりやすさのレベルが高い
攻撃性は2点
攻撃性レベルが低い
第6章 怒りを収める最終段階でのテクニック
第2段階の怒りを消す方法
- 怒りを書き出す
点数をつけることが重要です。自分にとってその重要度はどのくらいなのか。100点満点で評価しましょう。それからこの怒りを捨て去るか、それとも怒りを抱いた対象に理性的な説得を行うのか、あくまでも自分で選択することで再度意識することです。
- 相手との関係性を評価する
怒りが起きる場合、相手が絶対に悪いわけではありません。
その相手との関係性を考えて、その後の対処をどうするか考えることが必要です。
- 怒りのもとは何であり、何をつたえるのか
- 相手に期待する行動を伝える
- 説得は行わないという選択をする場合
機が熟すのを待つのも重要です。
第三段階の怒りを消す方法
- おそれを手放す
恐れが強いと不信感につながり、ピリピリしてしまう。それが周りにも伝わってしまいます。
手放す方法としては
・傾聴する:人の話を聞くことです。
・評価をやめる
・空気を読みすぎない
・自分は被害者ではない:自分が大事な存在であるという自信を深めていきましょう。
・信じる:まず自分を信じる。そうすれば他人も信じることができるようになります。
- ゆるすために
・素直な気持ちでゆるす
・重要な他者をゆるす
日常生活の工夫
- あいさつを欠かさない
- 「ありがとう」を伝える
幸せな人とは?
社会的地位が高くて立派な肩書の人、お金持ちの人、ある道の第一人者であったり、いわゆる成功者などでしょうか。
松下電器(現パナソニック)の創業者である松下幸之助さんの言葉で下記があります。
「感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく」
自分の置かれている状況に感謝できる人は、満たされているという実感を持っており、幸福感も高いということでしょう。このような幸福感の高い人は「余裕がある人」でもあります。
余裕のある人というのは、たとえ怒ったとしても、すぐに怒りを捨て去ったり、許したりできるため、それゆえに「余裕がある」という評価を得ているのでしょう。
すなわち、感謝することは、怒りのコントロールに役立つだけでなく、幸福感が高い、幸せな人になることにもつながっていくのです。
怒りを分類するのもおもしろい
どうもミトコンドリオンです。
精神科医が教える「怒り」を消す技術
怒りのコントロールが人生を幸福にする
備瀬哲弘(びせ てつひろ)
吉祥寺クローバークリニック院長。
1972年、沖縄県那覇市生まれ。96年、琉球大学医学部卒業。
同附属病院、都立府中精神神経科、聖路加国際病院麻酔科、JR東京総合病院メンタルヘルス精神科などを経て、2007年より現職。
日本総合病院精神医学会、日本精神神経学会、日本児童青年期精神医学会、日本精神救急学会の会員。
著書に、『大人の発達障害』『大人のアスペルガー症候群が楽になる本』『D’な人々 うつ病ではない「うつ」たちへ』『精神科ER 緊急救命室』『うつ病になっても会社は辞めるな』などがある。
第3章 4つの視点から怒りを知る
4つの視点①思い込みの視点
思い込みの視点A:あなたは必ず正しいわけではない
例:話し方がゆっくりな人に対して、あなたがもっとはなく話した方が仕事が早く進むのに。と思っていたとしても、必ずしも正しいわけではない。ゆっくり話すことで人々を惹きつけて人気者の場合がある。
思い込みの視点B:良し悪しの判断をやめる
思い込みの視点C:予定が狂っても慌てない
トラブルがあった場合、慌てるとどうしようもないことだと分かっていても、怒りを表現してしまう。トラブルがあっても、落ち着いて対処することを心がけましょう。
4つの視点② 生理的な視点
生理学的に捉える。
怒りが生じるときは交感神経の活動が高まります。それによって、ホルモンの一つであるアドレナリンが分泌されます。これにより、「闘争か逃走反応」が起きます。
高血圧症を伴う心臓病の患者さんには、怒りを頻繁に感じやすい性格や怒り出しやすい傾向があるという報告もあります。
健康を向上させるという観点からも、怒りのコントロールは必要のようです。
逆に私たちがコントロールできるのは呼吸です。
深呼吸することで呼吸数を減らすと交感神経の興奮を鎮め、副交感神経の活動が活発化させることができます。
生理的な観点から制御することも可能です。
4つの視点③ 進化的な視点
怒りは悪いと言ってきましたが、良い面もあります。
怒ることで、見返そうという気持ちが芽生えて、頑張るということもあります。
よって、進化的な視点でも怒ることで人間は生きるため努力をして、生き延びてきたのかもしれません。
4つの視点④ 社会的な視点
人間の社会を構築するための怒りです。
マナーやルールを破る非常識な方への怒りは社会をスムーズに形成するためには必要になる場合があります。
怒りは社会秩序の調整・維持に役立つものであるということができるでしょう。
怒りを定義する
『怒りの心理学』では
「怒りとは自己もしくは社会への、不当なもしくは故意による(と認知される)、物理的もしくは心理的な侵害に対する、自己防衛もしくは社会維持のために喚起された、心身の準備状態」
とされています。
音楽と映像の融合
どうもミトコンドリオンです。
最近不思議な体験をしましたので、備忘録です。
ピコ太郎のPPAP
PPAP(ペン パイナッポー アッポー ペン)(Pen Pineapple Apple Pen)
この響きを聞いたことのない人はいないのではないだろうか。
軽快な音楽から始まり、こわもての男がPen Pineapple Apple Penで踊っている動画、ネタである。
I have a pen.
I have an apple.
ウーン
Apple pen
I have a pen.
I have a pineapple.
ウーン
Pineapple pen
Apple pen
Pineapple pen
ウーン
ジャスティン・ビーバーがTwitterでツイートしたことにより、瞬く間に世界中に認知された動画・ネタである。
ピコ太郎(古坂大魔王が扮する)が発表したものだが、紅白歌合戦にまで出場できるまでになった。
この動画は2016年に発表されたのだが、なぜか2021年の現在、私の頭の中に突如として流れ出したのである。
ただし、音だけで…。
Youtubeにアップされているのだが、実際に見たことはなかったのだ。
当時はテレビ番組でもよく披露されていたが、今は2021年。
私の記憶にはすっかり踊るピコ太郎はいなかった。
そういうわけで、上記の音が流れた時、私の頭の中では、ピコ太郎が歌詞の通りに踊ることになった。
そこで、私の頭の中のピコ太郎が奇妙なことになったのだ。
I have a pen.(右手)
I have an apple.(左手)
ウーン
Apple pen.(両手)
I have a pen.(右手)
I have a pineapple.(左手)
ウーン
Pineapple pen.(両手)
Apple pen(右手)
Pineapple pen(左手)
ウーン
?
??
???
あれっ?
頭の中でピコ太郎はわたしに向かってネタをしてくれている。
そうなると、私の左側は、ピコ太郎の右側である。
だとすると、右手にはApple penを持っている。
英語は左から読むため、私の頭の中ではApple penから始まるので、
Pen apple pineapple pen(PAPP)
ん~、語呂が悪い。言いにくい。
私は奇妙な気持ちに包まれた。
頭の中で音はPPAP
しかし、頭の中でピコ太郎を見るとPAPP
なぜ?
そこではじめてYoutubeの動画を見てみた。
I have a pen.(右手)
I have an apple.(左手)
ウーン
Apple pen.(両手)
よしよし、イメージ通りだ
I have a pen.(左手)
何!
I have a pineapple.(右手)
何!
ウーン
Pineapple pen.(両手)
そうか。ここが違ったか。
Apple pen(右手)
?
Pineapple pen(左手)
?
ウーン
?
??
???
(しかも右側に向けてこっちに見せてる)
なぜ!右手にapple pen、左手にPineapple penなのだ。
結局合体させたときに、左側にはapple penがあるからPAPPになるだろっ!
私は憤りを感じた。
なんで右手にapple penを持つんだ。
Pineapple penから出してくれれば、順序良くて混乱しないだろ!と。
そして悟った。
これは音楽と動画があってこそのネタなのだと。
皆が知っている物語の裏には…
どうもミトコンドリオンです。
鬼の御伽(おとぎ)
板倉俊之(いたくら としゆき)
1978年1月30日生まれ。埼玉県富士見市出身。吉本興業所属。NSC東京校4期生。
98年に堤下敦とお笑いコンビ「インパルス」を結成。すべてのコントの作・演出を担当する。
主な著書に『トリガー』や『蟻地獄』、『機動戦士ガンダム ブレイジングシャドウ』、『月の炎』などがある。
なんとなく、小説を読みたい気分だったので、探していたところ、タイトルに「鬼」とあったので、興味が惹かれました。しかも、お笑いコンビ「インパルス」の板倉さんが書いたというので、さらに興味が沸き、読んでみました。「トリガー」は漫画にもなっていることは知っていましたが、読んだことがなく、いつか読もうと思っており、そのままだったのですが、それより先に、この「鬼の御伽」を読みことになってしまいました。
内容は鬼が登場する物語の代表である「桃太郎」の語られていない部分を板倉さんの解釈で補足した「パーフェクト太郎」と「泣いた赤鬼」をまったく違うアプローチで泣かせる「新訳 泣いた赤鬼」です。この物語は新太郎という男の子におじいさんとお父さんがそれぞれ聞かせる形で進んでいきます。
「パーフェクト太郎」はなぜお供がイヌ、サル、キジなのか。どうして桃太郎は強いのか、鬼は何なのかといった部分をきちんと説明がつくようにした物語になります。
読んだ感想としては、ちゃんと謎の部分が説明されており、ストーリー全体がよく分かりました。鬼の正体が次第にわかってくる部分は、なんとなく進撃の巨人っぽいなと思ってしまいます。戦いの描写も頭の中で想像しやすく、イヌ、サル、キジがそれぞれの知恵を活かして戦っているところはワクワクできます。また、桃太郎と鬼の対決も白熱しています。戦いの描写が多いので、個人的にはアニメのドラゴンボールの戦闘シーンのような光景が頭の中を駆け巡っていました。世代なので、土埃や岩にぶつかるところなど、まさにドラゴンボールになっていました。板倉さんもアクションものはいろいろと書いていらっしゃるので、同じようなシーンが頭の中にあるのではないかと思います。
個人的に面白かったのは、お供がなぜイヌ、サル、キジなのかが説明される部分です。都合よく、この3匹が桃太郎と出会うというのも不思議ですし、きび団子のみで命を賭けるのも不思議ですが、その部分もしっかり説明されています。
また、鬼の正体も明らかになるのですが、この部分は少し切ない部分があります。本の帯にも記載されていますが、「人間の業、鬼の宿命」を知らされることになります。
様々な伏線が回収されていくので、どんどん読み進められますが、勘の良い人は先が分かってしまうかもしれません。
桃太郎の話の筋はほとんどの方が知っていると思いますが、設定に疑問を持った方は少ないのではないでしょうか。小さい子はよく、なぜ?どうして?と疑問を持ちます。しかし、初めて桃太郎を聞かせてもらったとき、そのような疑問は持ったのでしょうか。おそらく持たなかったことでしょう。小さい時は、正義のヒーローである桃太郎が悪い鬼をやっつけるという勧善懲悪の物語の方にばかり気を取られ、なぜ桃なのか?どうしてお供が動物なのか?という点は気にならなかったからだと思います。また、小学生、中学生、高校生になってからも思い出せば疑問に思う部分はあるかもしれませんが、その歳になって、桃太郎の疑問について調べたり、友達と話すなんてことは恥ずかしくてあまりしないことでしょう。単純な勧善懲悪の物語より、もっと複雑な人間模様、描写の物語を知っていますし、好むようになっているからです。さらに大人になると桃太郎の話を取り上げることはほぼ皆無になってしまいます。そして、子供を持ってから、自分の子供に読み聞かせるとき、子供からなぜ?どうして?と質問されても特に考える機会がなかったため、結局「桃太郎はこういうお話だから」という解釈になってしまいます。このサイクルが生まれるため、桃太郎はなぜか強く、なぜか動物を従えて、単純に鬼をやっつける人物になってしまうのです。
そこで、この「パーフェクト太郎」ではなぜ?どうして?を完璧に補完した物語となっています。この補完はあくまで板倉さんの補完なので、もしかしたら皆さんも自分のオリジナルパーフェクト太郎を考えても良いのはないでしょうか。そのお話を仲間内で話すのも、桃太郎をより深く、重厚な物語にできるきっかけになることでしょう。
もう1つのお話である「新訳 泣いた赤鬼」は全く違うアプローチで赤鬼を泣かせるとなっていましたが、冒頭から何かファンタジーバトル漫画っぽいシーンから始まりました。こちらの話は最初に書いたように、一般的な「泣いた赤鬼」とは本当に全く別の物語になっているので、もしかしたら泣いた赤鬼を知らない方でも全然楽しむことができると思います。
こちらは主人公の半郎が鬼に変身し、鬼と戦い、村を守っている世界から始まるのですが、やっぱり進撃の巨人を彷彿とさせます。また、戦いの描写も想像しやすく、疾走感があり、どんでん返しもあるので、続きが気になってどんどん読めてしまいます。伏線も張られており、それを回収していくところはパーフェクト太郎と同じなのですが、こちらはもっと「人間の業、鬼の宿命」が色濃くなっています。ちょうど最近Zガンダムを見ていたので、ガンダムでよくある、人間の身勝手さと、どちらが正義か悪かは分からない部分、最後はハッピーエンドなのか、どうなのかと思わせるような切ないエンディングといった感じで、今っぽいなと思いました。終盤の半郎と雷閃のやり取りはバトル漫画が好きな人にはたまらない描写でしょう。
ネタバレになりますが、
この2作品は世界観がつながっており、これを聞いている新太郎がいる世界もつながっているという仕組みです。夏休みにおじいさんの丸太の家に遊びに来ている設定なので、田舎に住んでいるんだなと簡単に思っていたのですが、終盤で半郎が立てたのが丸太の家で2階建てとなっており、おじいさんの家と同じだと気づいた時、やっぱりそうか…。と思いました。このちょっとしたところでも組み込んでくるあたりがニヤニヤしてしまうポイントで、探してみても面白いのではないでしょうか。
怒りコントロールの意義
どうもミトコンドリオンです。
精神科医が教える「怒り」を消す技術
怒りのコントロールが人生を幸福にする
備瀬哲弘(びせ てつひろ)
吉祥寺クローバークリニック院長。
1972年、沖縄県那覇市生まれ。96年、琉球大学医学部卒業。
同附属病院、都立府中精神神経科、聖路加国際病院麻酔科、JR東京総合病院メンタルヘルス精神科などを経て、2007年より現職。
日本総合病院精神医学会、日本精神神経学会、日本児童青年期精神医学会、日本精神救急学会の会員。
著書に、『大人の発達障害』『大人のアスペルガー症候群が楽になる本』『D’な人々 うつ病ではない「うつ」たちへ』『精神科ER 緊急救命室』『うつ病になっても会社は辞めるな』などがある。
第二章 なぜ怒りをコントロールする必要があるのか?
思いやりがイライラに変わるとき
求める気持ちは、それが一瞬満たされたとしても、エスカレートしていく傾向にある。
自己中心的な願望を満たしてくれる愛情を与えてほしいと考えて怒ってしまう場合もある。
求めること、もしくは与えてもらうことでは、心の安らぎは得られません。永遠に気持ちが落ち着くことがないのです。
私たちが本当に望んでいるのは当然ながら「心の安らぎ」。
Q「怒りのコントロールを続けていく必要があるのか?」
A私たちの心はざわつきやイライラ、もやもやした状態でいることは望んでいないから。
心の安らいだ状態を維持するには、たとえ何度失敗しても、怒りのコントロールに繰り返し取り組んでいかなければならないから。
Q「悪いのは自分ではないのに、なぜ今の自分をゆるすのか?」
A私たち自身が心の安らぎを得るためには、今の自分を許していく必要があるから。
完璧にいかない自分を悔いて責め、場合によっては他人と比較し、うまくいかない問題を親や育ちや環境のせいにして…という具合に自分をゆるせないでいると、抱えている葛藤に何らかの理屈をつけることで、自分を納得させたくなります。
しかし、そうなると問題は複雑化する一方です。安らぎを得たくて思考しているのに、そもそも方向性がずれていると葛藤が増えていきます。それは苦痛以外の何ものでもありません。
確認ですが、
怒って良かったことはあるか?
寝るときに今日を振り返る時、起こって本当によかったなあと思える人はまずいないでしょう。
「あのとき、なんでもっと冷静に対応できなかったのだろうか」
「思わず声を荒げてしまったけれど、失敗したなあ」
「あとになって考えてみると、怒るようなことではなかったなあ。相手に不愉快な思いをさせたよなあ」
などと、ため息をつきながら嘆くことがほとんどではないでしょうか。
よりよく生きるためのコツ
「心の安らぎを得て、より良い人生を歩む」という願いから、怒りをコントロールをするという意識を持つ。
怒りをコントロールできる人は、心が常に平穏に保たれているため、自分も気持ちが良く、かつ周囲の人たちを心地よくさせます。一緒の時間を過ごす他人を心地よくさせるといった人間性の源は、「おそれない」、そして「ゆるす」という2つの心構えにあるのだと思います。
当然のことながら、怒りは人を遠ざけます。その反対に、怒りのコントロールができる人は、多くの人を惹きつけるのです。
もし怒りを過度に抑え込んでいたり、湧き上がる怒りという感情を自覚できなかったりする人がいる場合には、そちらのほうが精神的に不健康なにおいがします。
無理に感情を抑え込み続けたり、自分の胸中に湧き出てくる怒りを無視し続けたりすることは、心身の健康によくありません。精神的な病気になることもあります。
怒りを過度に抑圧したり、自らの自然な感情を無視したりすることが目標ではありません。怒りを感じるがままに表現すれば、時として災いを招く危険性があります。そのため、怒りをしっかりコントロールする必要があるのです。
怒りを感じたまま、それを垂れ流しにすれば、貴重で限りある自らのエネルギーと時間を多大に浪費します。心の安寧を得られないために、へとへとに疲れます。また、怒っているその時間は、何も生みだしません。
怒りのコントロールは、自らのエネルギーと時間に余裕を生み出します。その余裕が有益なことを生み出す可能性を高めるのです。生涯を通し、生産性は確実に高まります。
怒りを発散させたとき、当然負うべき責任は自分自身にあります。
「状況を覚えていないほどの怒りだったのだから、あなたに責任はない」「自然に湧き上がった感情のせいだからしょうがない」などと、だれも言ってはくれないし、慰めてくれることもありません。
怒りを表現してしまう人に対して、周りの人は接したくない、関わることを避けたい、と考える人がほとんどでしょう。表面的に付き合うことがあっても、実際は存在自体を無視されてしまいます。